高野山・奥の院は「弥勒浄土」?!御廟橋から先に広がる兜率天の世界

高野山|奥の院に伝わる「弥勒浄土伝説」

高野山|奥の院に伝わる「弥勒浄土伝説」

お大師様が入定される際、弟子たちに言い残したことがあります。

 

「我が亡き後は、兜率天に往生し、弥勒菩薩に仕える。56億7000万年後に、弥勒菩薩と共にこの世に戻り、私が歩んだ跡を訪ねる。

 

この世に戻るまでの間は、微雲管(みうんかん)から人々の信仰、不信仰を観察する。このとき仏道に励んでいれば、助けを得るであろう。信仰のないものは不幸になるであろう」(御遺告)

 

弥勒菩薩とは、お釈迦さまの亡くなった後、56億7000万年後に現れる未来仏のこと。この世の救世主となる仏様で、今は兜率天(とそつてん)という場所にいるといわれています。

 

お大師様が遺した遺言から、お大師様が今も禅定している「奥の院=兜率天」という信仰が広がりました。

 

※写真は「弥勒菩薩」がご本尊の第14番札所常楽寺の御影。88か寺で弥勒菩薩がご本尊様なのはここだけ。

 


御廟橋の先に広がる「兜率天」の世界

奥の院の御廟橋から先は、写真撮影禁止の聖地になります。

 

正面にあるのは、「灯篭堂」。その奥に、「御廟」がありますが、灯篭堂に登る階段の手前には、さまざまな伝説が伝わるものがあります。

 

弥勒石の祠(みろくいしのほこら)

 

御廟橋を渡るとすぐ左手にあります。弥勒菩薩がこの世に降りられる際は、この場所に降りてくるといわれています。

 

この祠に納められている大きな石は、兜率天から降ってきた石で、罪深い人が持ち上げようとすると「重く」感じ、善行を積んできた人は「軽く」感じるといわれています。

 

大師腰かけ石

 

お大師様が腰をかけているうちに、石にくぼみができたという石があります。木碑が立っています。

 

汗かき地蔵

 

人々の罪業を一身に背負って、焦熱の苦を受けているといわれるお地蔵さまの祠があります。

 

姿見井戸

 

井戸の中を覗き込んで、自分の姿が映らなければ、「3年以内に死んでしまう」という、言い伝えがある井戸です。

 

四国お遍路の札所でも、姿見の井戸がある場所があります。17番井戸寺。(写真は、17番井戸寺のもの)。

 

ここも同じように、「姿が映らなければ3年以内に死ぬ」という伝説があります。お大師様にまつわる伝説には、水と関係するものが多く残っています。


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