高野山|高野山そのものが実は「曼荼羅」になっている

高野山|曼荼羅になっている高野山

高野山|高野山そのものが、実は「曼荼羅」になっている

お大師様が開創した「高野山」。

 

「まるで蓮の花のような地形」をしていることでも、知られています。

 

でも、実は、この蓮の形こそ、「曼荼羅」の世界を現していることは、意外と知られていないかもしれません。

 

「曼荼羅」とは、複雑な真言密教の教理を、わかりやすく形であらわしたもの。仏様の世界を、視覚的に表したものでもあります。

 

ここでは、曼荼羅の世界と、高野山の関係について、見ていきましょう。

 


密教の教えを視覚的に示す「曼荼羅」

高野山の地形のハナシの前に、曼荼羅について簡単に解説してみましょう。
曼荼羅とは、仏様の世界を描いたものですが、密教の曼荼羅としては、大きく分けると、次の2点。

 

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)

 

「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」をセットにした、密教の総論的な曼荼羅。この2つをあわせて、「両界曼荼羅」といいます。

 

胎蔵界曼荼羅

 

 

「大日経」という経典に基づく曼荼羅で、大日如来の「理の世界」を表す。宇宙そのものである「大日如来」の慈悲が、広く人々に伝わって、それに気づく様子を表現している。

 

全体は12の区に分かれ、中心には、大日如来。その周囲に、409尊の仏様が取り囲んでいる。

 

※写真は、金剛峯寺の中にある広間に掲げられた胎蔵界曼荼羅。信者の方が奉納したものと思われます。梵字で示した「法曼荼羅」バージョン。

 

金剛界曼荼羅

 

 

「金剛頂経」という今日経典に基づく曼荼羅で、大日如来の「智の世界」を表す。人が仏に至る方法と、悟りへの道が示されている。

 

全体は、9つの区に分かれ、主なものは、大日如来と81尊の仏様が描かれている。小さな仏様まで入れると、1461尊にもなる。

 

※写真は、金剛峯寺内の広間にある金剛界曼荼羅の法曼荼羅バージョン。信者の方が奉納したもののようです。

 

別尊曼荼羅(べっそんまんだら)

 

個別の仏様を、それぞれ本尊とし、その本尊と関係がある仏様のみを集めた曼荼羅のこと。密教の特別な修法の際に用いられるもの。

 

このほかの2つの曼荼羅

 

密教以外で用いられる曼荼羅もあります。

浄土曼荼羅…
阿弥陀如来がいる「西方極楽浄土」を描いたもの。
神道曼荼羅…
昔ながらの神々が、仏様と一緒に描かれたもの。神道と仏様の関係を表しているといわれています。「熊野曼荼羅」や「春日曼荼羅」などがあります。

曼荼羅になっている「高野山」

高野山そのものが、実は、曼荼羅になっています。

 

もともと、高野山は、すり鉢のように、真ん中が少し凹んだ特殊な形をしていますが、その中央部分が、壇上伽藍。さらに、その中央にある「根本大塔」が、大日如来に当たる場所です。

 

高野山の麓にある「慈尊院」は、蓮の茎に当たる場所。お大師様の母君、玉依御前が過ごした寺院です。

 

ここから高野山に至るまでの道を、180町に区切って、1町ごとに道しるべの「卒塔婆(そとば)」が建てられました。これが、胎蔵界180尊に当たります。

 

「奥の院」は、蓮のつぼみ部分に当たり、ここまでの間にも、金剛界37尊中の36尊の卒塔婆が建てられ、御廟自体が、残りの1尊を示しています。

 

慈尊院から大門まで、胎蔵界180尊の卒塔婆をめぐって登ることを、「曼荼羅行」といいます。昔の人々は、高野山参りをする際、卒塔婆1つ1つに拝礼していたといわれています。

 

 


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