高野山|宿坊体験記|「大円院」に泊まる

高野山|宿坊体験記|「大円院」に泊まる

高野山|宿坊体験記|「大円院」に泊まる

高野山には、宿泊できる「宿坊」が52か所あります。今回は、宿泊サイトで予約できる宿坊の中から、「大円院」を予約してみました。

 

1回目の四国お遍路結願後の、高野山参りに合わせての宿泊です。奥の院や金剛峯寺、壇上伽藍の参拝を終えて、いざ宿坊「大円院」へ!金剛峯寺から奥の院に続く道の途中にあります。

 

宿坊は、夕ご飯の時間は決まっている上、早いので、基本的に17時くらいまでに入るのがマナーです。大円院の夕ご飯の時間は、17時半。16時半に、到着しました。


大円院にチェックイン

入り口。道に面した門は、お寺の雰囲気です。「宿坊=お寺」だから、当たり前といえば、当たり前なんだけど…。

 

でも、やっぱり宿坊によって雰囲気が違うのですよね。敷地まで長い石畳が続いていて、何だか高級旅館風に見えるところもあるし、様々です。

 

 

門をくぐると、すぐに、こじんまりしたお庭があります。玄関口に、作務衣を来た宿坊の方(若いお坊さん?)がいて、中に案内してくれました。

 

玄関の天井に、何だかカッコイイ木彫りの飾り(?)。12干支かなぁ?! なんだか不明です。聞けばよかった。

 

受付は、玄関口から左に入ったところにある、社務所です。ここで、夕食の時間と場所、朝のお勤めの時間と場所などを教えてもらいます。

 

ちなみに料金は前払い、クレジットカードも使えました。あと、写経をしたい人はここで申し出ます。別途料金1000円。

 

自分のお部屋で写経するスタイル。ここで、お大師様のお姿入りの写経用紙をもらえます。筆と文鎮は貸し出してくれるので助かります。

 


↑社務所があるところ。奥はお風呂です。

 

さて、お部屋へは、若いお坊さん(?)が案内してくれました。荷物まで、持ってくれます。

 

余談ですが、宿泊サイトのクチコミを見ていると、たまにこんなクチコミを見かけます。(下記は別の宿坊のハナシです。)

 

「宿坊の人が、荷物をもってくれなかったのが不満」みたいなカキコミです。

 

人それぞれ、価値観や常識は違うと思いますが、私の考えでは、宿坊に泊まるというのは、旅館やホテルに泊まるのとは根本的に違うと思うのです。

 

宿坊に泊まるのは、1日だけでも修行させてもらうため。だから、旅館の場合に普通に受けるサービスを、宿坊にも当てはめるのは全く筋が違うように感じています。

 

宿坊の方が、荷物を持ったりしてくれるのは、サービスではなく、「おもてなし」。好意でやっていただけてるのであり、当たり前のことじゃないと思うのですよね。

 

大円院では、お部屋まで、荷物を持ってくださいましたが、何だかかえって申し訳ない気分でした。あくまで、個人の感想ですが…。

 

 

さて、部屋は本館の2Fでした。大円院に伝わる「横笛伝説」の襖絵があるロビーを通って上に上がります。

 

 

お部屋は、ガラガラッと開けるふすま式。鍵はちゃんとあります。宿坊によっては鍵がないそうですが、大円院は鍵あり。

 

10畳くらいはあるかと思われる広さで、こたつもあります。お布団はすでに敷かれていました。古いんだけど、キレイ。何だか田舎のおばあちゃんちのような風情です。

 

 

窓からは、中庭が見えます。お寺なのに、赤い鳥居。不思議だなぁ。。。

 

ちなみに、お部屋にはTVもあります。浴衣とタオルも。あと、お湯ポットと湯飲み。お茶菓子まであって驚きです。

 

事前に宿泊サイトで見た備品表では、タオル、バスタオル、シャンプー、リンスはないと書かれていたので、持参したんですが、バスタオルだけで大丈夫でした。

 

あと、ちょっと困ったのは、ティッシュペーパーがないこと。高野山は寒いので、鼻が垂れると困ります。次回からは持参必須ですね。

 

さらに、特筆すべきは、床の間の掛け軸。「阿」ですよ。「阿」! これを見ながら瞑想するのが「阿字観」ですから。

 

心得さえあれば、ここで阿字観できるということですよね。(私は無理ですが…)スゴイです。

 


大円院の精進料理

さて、17時半になったので、1Fの食事会場に入ります。すでに、お膳が用意されていて、自分の部屋番号(名前)の半紙が置かれた場所に、着座します。

 

一人で来ている人達の近くに、座席がありました。(一人客で固めてるのかな?)

 

この日は、20人弱くらいの宿泊客だったようですが、なんと7割は欧米系の外国人。日本なのに、顔ぶれだけみてると外国にいるみたいです。高野山って、ほんとに外国人多いですよね。

 

 

さて、お膳は2つあります。大円院のお食事は、肉や魚は一切なし。全部、野菜や豆腐、穀類、フルーツの構成。

 

ご飯とみそ汁は、着座と同時にお櫃を運んでくれます。驚いたのは、小鍋。これも、着座と同時に火をつけてくれました。

 

お料理の味は、ほどよい塩かげんというか醤油加減というか。どれも美味しくて驚きました。旅館ようなお品書きなんかはないので、せっかくなので、記憶が鮮明なうちに自分で書き残します。

 

 

高野山名物、ゴマ豆腐。ゴマの風味がちゃんとあって、もっちり! コレ、かなりイケてました。

 

 

タケノコと枝豆?の和え物。この緑色はペースト状になっていて、豆だと思うんですよね。タケノコのシャキシャキ感と、枝豆?か空豆?のまろやかな練り物がベストマッチ。

 

 

高野豆腐とタケノコ、椎茸、かぼちゃの煮物。薄味の上品な味付け。

 

 

野菜の天ぷら。ナスビ、サツマイモ、ピーマン。あとカボチャかな?? 冷めてるんですが、だし汁がついてるので、そこにつけると別に気にならない。全然OK。

 

 

大根と人参の酢の物。

 

 

乳麺だと思う。山椒がかなり入ってて、ちょっと苦手でした。(単に山椒が苦手なだけなんです)

 

 

豆乳鍋?だと思われる。まったりしたクリーミィなお味。火をつけてくれるので、アツアツで食べられるのはありがたい。

 

これと、ご飯、みそ汁。バナナ。お腹いっぱいです。女性ならかなり満腹のはず。

 

隣の外人さん(男性)が、ご飯をお櫃ごとお代わりしようとしていたのには、驚きましたが、普通の人なら充分すぎる量です。バナナは食べきれず、部屋に持ち帰り。

 

それにしても…。お寺のせいか、日本人は一人客が多いせいか。はたまた、外国人は日本のマナーだと思っているのかも? 終始無言でのご飯で、ちょっと驚きました。

 

確かに、禅の世界だと、ご飯を食べてるときは口きいちゃいけないんですよね。宿坊はそこまでじゃないと思うけど、そうでもないのかな?

 


宿坊の長い夜

夕ご飯が早いということは、夜もそれだけ長いということです。

 

もちろん、次の朝早いので、夜更かしするわけじゃないけれど。せっかく宿坊に来たんだから、それらしいことをしたくなります。
(※写真は、夕食時にいただいた大円院の記念おしゃもじ)

 

大円院のお風呂は狭そうなので、人がいっぱい来る前に入っちゃおう!ということで。夕食後、即効でお風呂に向かいました。

 

お風呂場は、やっぱり、多分6人超えるとかなりギュウギュウになりそうな広さ。キレイなんですけどね。

 

案の定誰もいなかったので、安心して体を洗っていると、途中で外国人のお姉さんが入ってきました。そういえば、外人さんとお風呂で会うのって初めて!

 

欧米系の人の中には、お風呂に水着を着る人もいると聴くけど、この方はちゃんとしてました。ヨカッタです。それにしても、背中に、大きなファッションタトゥ−を入れてるのは驚きでした。超余談。

 

※ちなみに、シャンプーリンス、ボディーソープあり。ドライヤーも2台あり。脱衣場にフェイスタオル大量においています。

 

部屋に戻ると、早速、写経タイム!!社務所でもらった写経用紙を広げました。般若心境を書くのは久しぶり。心を落ち着けて、書き始めましたが…。

 

最近始まった老眼のせいか、薄く書かれている文字が読みにくくて仕方がない。途中で、持参した仏前勤行次第を取り出して、見本にしながら写経しました。

 

ついでに、家から持参した「立義分」の写経もやりました。2枚分写経。何だかやり遂げた感がします。

 

あとは、お部屋に置いてあった、このお寺の「瀧口入道と横笛」のお話絵本を読了。

 

かなりわかりやすい。さらに、ここに置いてあったお大師様の漫画を読了。この漫画はかなりわかりやすいですね。

 

今まで読んだ、どのお大師様の本より、理解しやすいのは驚きです。すごいな、コレ。

 

そんなこんなで、テレビも1回もつけず、夜はあっという間に過ぎ去り、就寝。4月半ばだというのに、かなり寒くて、部屋のエアコンつけて寝ました。

 


朝のお勤め

これに出たくて、宿坊に泊まったといっても過言ではない「朝のお勤め」。大円院の朝勤行は早くて、なんと5:50集合! 5時に起きて頑張りました。

 

1Fの本堂に行くと、一番乗り。続いてやってきた、おじさま(日本人)の方とちょっぴりお話。この方も、四国お遍路結願後の旅だそうな。しかも歩きお遍路。スゴイ。。

 

大円院の朝勤行は、お坊様2人で読経するスタイル。前半のお経はさっぱりわからなかったけど、真言を唱えているところや、般若心経は、さすがにわかりました。

 

お遍路では、自分流でお経を読んでいたので、ホンモノの読経って、ちゃんと節があるんですよね。メロディというか。なんかやっぱり落ち着きますね。

 

お経の後は、お坊さんによるお話タイム。横笛と瀧口入道のお話だった。昨晩、部屋にあった絵本読んじゃっていたので、ちょっとがっかり。

 

外国人の人もたくさん出てたけど、日本語が分かる人は少なかったから、さっぱりなんだろうな(仕方ないけど)

 

「大円院の朝勤行のお話で涙した」というクチコミを見ていたのだけど、そのお話って横笛さんのお話じゃないと思う。※横笛さんのお話は、悲恋のお話。

 

当たり前といえば当たり前だけど、日によってお話は違うだろうし、お話する方も違うだろう。でも勝手な話ではあるけれど、涙が出るほどのお話って、やっぱり聞いてみたかった。

 

この後は、ご本尊の阿弥陀如来様に拝観して、朝食タイム。昨日と同じ部屋に移動します。

 


朝ごはん

昨日と同じ席で、朝ごはんを頂きます。ご飯、みそ汁、海苔、がんもどきの煮物。ひじき。漬物。シンプルだけど、美味しかったです。

 

昨日、ご飯をおかわりしていた外人さんは、朝ごはんはおかわりせず。朝は食欲ないのかな? 朝食はさっきのお勤めで会った、お遍路のおじさまと少し話しました。

 

今から奥の院にいって、その足で、西国33霊場を歩いて!回るんだとか。西国を徒歩で回る人って、珍しいよね。西国って、和歌山〜京都の日本海側とか。最後、確か岐阜ですよね。かなりの長距離。すごいです。お気をつけて!

 

そんなこんなで、部屋に戻り、チェックアウト。部屋の鍵を社務所に返すと、靴を履いているときに、記念の切り絵をくださいました。高野山によくある、吉祥切り絵のミニミニ版。お財布に入れると良いそうな。ありがとうございます。

 

そんなこんなで、大円院宿坊体験、終了。お世話になりました。


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