四国お遍路 満願の地を行く

真言宗総本山「高野山」とは?

高野山とは?

高野山は、お大師様(弘法大師空海)が開いた「真言密教」の聖地です。

 

今から約1200年前、弘仁7年(816年)、嵯峨天皇からこの地を下賜されたお大師様は、この場所に、真言密教の根本道場を開きました。

 

四国お遍路を廻っていると、険しい山中の札所が多かったのは、記憶に新しいところ。

 

高野山も、その険しい山の札所と同じように、標高約900mもある8つの峰に囲まれた場所にあります。東西6km、南北3kmの盆地で、空から見ると、「蓮の花」のような形をしています。

 

高野山には、117もの寺院がありますが、これを総称して「金剛峯寺(こんごうぶじ)」といいます。つまり、「総本山金剛峯寺」は高野山全体のこと。高野山が、宗教都市と呼ばれるのも、これが由縁です。


高野山の中心「壇上伽藍」

この「金剛峯寺」の中心となるのが、「壇上伽藍(だんじょうがらん)」です。

 

高野山の総本堂で、重要な行事のほとんどは、この檀上伽藍にある金堂で行われます。長い歴史の間に、何度か焼失し、現在の金堂は7代目。昭和7年に再建されたものです。

 

ご本尊は、秘仏の「薬師如来」。

 

この薬師如来を守るように、右脇に「普賢延命菩薩」「不動明王」「金剛薩?」。左脇に、「虚空蔵菩薩」「降三世明王」「金剛王菩薩」が脇侍仏となっています。
また、平清盛が奉納したという「両界曼荼羅」のレプリカが掲げられています。

 

薬師如来ご真言
 おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

 

檀上伽藍の敷地内には、鮮やかな朱色が目を引く「根本大塔」があります。

 

真言密教のシンボル的な建物で、「多宝塔」として日本最初のものでしたが、何度も焼失、再建を繰り返してきました。現在の根本大塔は、昭和12年に再建されたものです。

 

ご本尊は、胎蔵界大日如来です。

 

胎蔵界大日如来ご真言
 のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん

 

高野山を統括する「金剛峯寺」

高野山全体が「総本山金剛峯寺」ですが、高野山の中には、「金剛峯寺」と名がついた特定のお寺があります。

 

こちらの「金剛峯寺」は、「青巌寺(せいがんじ)」と「興山寺(こうざんじ)」が合併してできたお寺で、明治元年(1871年)に、今の「金剛峯寺」に改称されました。

 

金剛峯寺は、高野山真言宗の管長である「座主(ざす)」の住居であり、高野山全体を統括する総本山となっています。

 

金剛峯寺は、南北70mもある主殿、座主居間、奥殿、別殿などがあるほか、護摩堂や阿字観道場などがあります。ここでは、一般の人でも「阿字観」を体験することができます。
(要予約)


お大師様が仰臥する「奥の院御廟」

高野山のもうひとつの聖地は、今でもお大師様が仰臥しているといわれる「奥の院御廟」です。四国お遍路のお礼参りは、この奥の院へ向かいます。

 

「奥の院」は、一の橋から約2km。樹齢千年を超える杉林と、20万基といわれる墓石群の先にあります。

 

日本の歴史に名を遺した、数々の武将や名僧の墓石を見ながら、悠久の歴史を感じることができます。

 

御廟の手前には、「御廟橋」がかけられ、ここから先は、写真撮影禁止。御廟の拝殿は、「灯篭堂」と呼ばれ、お堂の中には、参拝者が奉納した灯篭が万灯を超え、中には、千年近く灯され続けている「消えずの火」もあります。

 

 


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