ご本尊様から宿坊を選びたい方に!

高野山|宿坊別!ご本尊様全リスト

高野山の宿坊をご本尊様から選ぶ

高野山には、一般人でも利用できる宿坊が52箇所あります。宿坊は、基本的に「泊まれる施設があるお寺」。

 

四国お遍路の札所と同様、どの宿坊にも「ご本尊様」がいらっしゃいます。

 

お遍路さんは、88か所もの札所で「真言」を唱えてきたわけですから、お遍路を結願した後に泊まる宿坊も、好きなご本尊様のいらっしゃるところを選ぶのもおすすめです。

 

ここでは、宿坊のご本尊様とあわせて、各寺院の開創年、特色をリスト化してしています。

 


ご本尊様がわかる宿坊リスト

四国お遍路では見たことがない、ご本尊様もいらっしゃいます。チェックしてみてください。
※宿坊寺院に公式サイトがある場合、寺院名をクリックすると、宿坊の公式サイトに飛べます

 

宿坊 ご本尊様 開創年と特色
西南院 さいなんいん

太元師明王

 

平安初期 お大師様の高弟、真然大徳によって創建。ご本尊はお大師様の直筆。高野山の裏鬼門に当たり、除災招福の祈願寺に。鳥羽法皇が勅願寺と定めた寺院。
報恩院 ほうおんいん 大日如来 開創時期不明。お大師様の孫弟子、如海上人によって開基。松尾芭蕉の弟子が、師の遺骨を納めたとの言い伝えがあります。
桜池院 ようちいん 阿弥陀如来 大治2年(1127) 白河天皇の第四皇子、覚法親王によって開基。正嘉二年(1258)に、後嵯峨天皇が御幸された際に詠まれた歌から、「桜池院」の名に。足利尊氏とのゆかりも深い寺院。
宝亀院 ほうきいん 十一面観世音菩薩 お大師様入定後の衣替えの行事に深い関係がある宿坊。お大師様入定後86年目のある夜に、醍醐天皇の夢枕にお大師様が立ち、その時の姿が袈裟や衣が汚れていたという。天皇はこれを受けて、空海に弘法大師の大師号を贈り、毎年弘法大師の命日である3月21日に新しい法衣を、廟所へ供養することになったために、醍醐天皇の勅願により観賢僧正が開基されたのが、この寺院の始まり。
遍照尊院 へんじょうそんいん 大日如来 開創年不明。お大師様が高野山開創の前に修行した場所のひとつ。お大師様の周囲が光明に輝き、「摩訶毘慮遮那如来如意宝生」の三昧を体得されたことから、大師様の宝号を付けた名称の寺院が建立された。
増幅院 ぞうふくいん

愛染明王

 

清和天皇の時代(850-881) 土岐山城守の長子、以空上人が中興、鎌倉時代に覚海が居住した寺院として有名。覚海は、神通力を得て天狗となって昇天したという伝承がある傑僧。
成就院 じょうじゅいん 地蔵菩薩

開創年不明。伊達政宗公の庇護を受け、代々伊達家の菩提寺として信仰を集めた寺院。「信仰厚くお祈りすると何事も成就する」と言われ「成就院」と称された寺院。

 

釈迦文院 しゃかもんいん 釈迦如来

1005年 。大師御人定の170年後、祈親上人の開基。岡山津山域主、播州赤穂域主森家代々(森蘭丸一族)の菩提所。     

 

常喜院 じょうきいん 地蔵菩薩 開創年不明。開基は、お大師様の10大弟子のひとり、道光大師・実恵。本尊の地蔵菩薩は国宝。戦国武将黒田長政が寄進した護摩堂本尊の大威徳像、幣振不動明王がある。
天徳院 てんとくいん 阿弥陀如来 元和8年(1622年) 徳川2代将軍秀忠の次女で、前田家3代、利常公に嫁いだ珠姫の菩提所として建立された宿坊寺院。天徳院は、玉姫の戒名で墓所もあります。重要文化財指定を受けている庭園が見事。
正智院 しょうちいん 阿弥陀如来

永久年間(1113-1117) 文館詞林、不動明王など数多くの国宝を有する宿坊寺院。黒田官兵衛を祖とする筑前黒田家、薩摩藩島津家との縁が深く、美しい庭園を有する。

 

宝城院 ほうじょういん 大日如来

保延年間(1133-1141) 元閑院宮家菩提所。閑院宮は江戸時代中期の東山天皇の皇子直仁親王が創設した宮家。

 

西禅院 さいぜんいん 阿弥陀如来

壇上伽藍に隣接している宿坊で、親鸞聖人が修行した宿坊として有名。親鸞聖人自作の尊像がある。

 

明王院 みょうおういん 不動明王(赤不動明王)

高野山最古の宿坊のひとつ。本尊は、日本三不動のひとつとして知られる赤不動明王で、赤い身色の不動明王を二童子と共に描いた画幅。智証大師円珍が修行中に感得した不動明王の姿を、自分の頭を岩に打ち付け、岩絵の具に頭血を混ぜて写しとられたと言われています

 

龍光院 りゅうこういん 大日如来

高野山でのお大師様が住んでいた院といわれた由緒ある寺院で、古くから中院と称されていた古刹。平安時代後期に、龍光院の名称に。明算大徳の時、「庭の池中より神龍が宝珠を戴いて昇天した」という伝説が由縁。            

 

親王院 しんのういん 不動明王

お大師様の10大弟子のひとり、平城天皇の第三皇子「真如親王」が開祖。高野山に残る大師御影を描かれたことでも有名。晩年、唐に渡りインドへ向かう途中で遷化された。所縁の宿坊は親王院と称されている。

 

総持院 そうじいん 阿弥陀如来

平安時代創建。 お大師様から二十八代目の山主、行恵総持坊の開基の古刹。玄関先には、登龍藤(とうりゅうふじ)」と呼ばれている樹齢1000年の白藤がある。囲碁や将棋の名人戦が行われた宿坊でも有名。

 

蓮華院 れんげいん 十一面観音

817年創建。 お大師様が高野山開創の際に結界をはった際の草庵が始まり。徳川家との縁が深い寺院で、徳川家康の先祖の代から松平家(徳川家)が檀家。

 

安養院 あんにょういん 大日如来

長州藩毛利家の菩提所として、歴代の建碑がある宿坊。

 

巴陵院 はりょういん 阿弥陀如来

1525年、柏原天皇により皇室の宿坊となり、その後、伊達家や相馬家などの東北大名の菩提寺に。修験道との縁も深い。現在は全国で2箇所しかない国民宿舎宿坊に。毎朝、護摩を焚く朝勤行を行う。

 

蓮華定院 れんげじょういん 阿弥陀如来

建久年間(1190〜)創建。 関ケ原の戦い以降、高野山に蟄居した真田昌幸、幸村父子が滞在した宿坊として有名。真田家の家紋、六文銭がいたるところに見られる上、真田親子が滞在した上段の間を見ることもできる。開創したのは、鎌倉時代の行勝上人。

 

西室院 にしむろいん

椎児不動明王

 

お大師様が開創したといわれる最初の山内寺院で、大庭園には源氏三代の将軍供養塔がある。

 

南院 なんいん 

波切不動明王

 

東大寺の南院に住していた、子島真興僧都が建立。ご本尊はお大師様が唐から帰国する際に荒波を鎮めたといわれる秘仏で、年に一度だけ開帳される(6月28日)。護摩修行の道場で、スリランカ大統領から贈られた仏舎利を奉納した塔がある。

 

光台院 こうだいいん 阿弥陀如来

1110年頃 白河天皇の第四皇子覚法親王が開基。以来、27代にわたって親王方が参詣され、「高野御室」と呼ばれている。高野山の中でも最も北にある静かな寺院。

 

龍泉院 りゅうせんいん 薬師如来

931年 真慶律師による開創。お大師様が雨ごいの祈祷をされた善女竜王の池が傍にあることから名称がつく。西国薬師霊場第10番札所。

 

福智院 ふくちいん 愛染明王

1200年代創建。 高野山唯一の天然温泉がある宿坊。(24時間入湯可能)800年前に覚印阿闍梨が開創したという高野山最大の宿坊。

 

本覚院 ほんがくいん 不動明王

建久年間(1190年)創建。 行空上人が滞在した際に、地蔵菩薩が出現して「汝此処に住せよと」と告げられ、寺院を建立したのが始まり。尾張徳川、白杵稲葉、大洲加藤の諸候を始め、一般信徒の帰依を集めた寺院。「本覚院の住職は、護摩を一日3座焚く」といってお坊さんの間でも有名です。

 

無量光院 むりょうこういん

阿弥陀如来(別名無量光如来)

 

白河法皇第四皇子覚法親王が創建。上杉謙信が修行したことでも有名。上杉家をはじめとする越後武将や浅野長政と縁が深い寺院。朝のお勤めは護摩炊き、読経・声明と1時間半に及び、本格的な勤行で有名。外国人僧侶も多い。

 

本王院 ほんのういん 聖観世音菩薩

保元三年(1158年) 安政年間に他の5つの院と合併して現在地に。

 

普門院 ふもんいん

大日如来(普門万徳の大日如来)

 

天長元年(824年)創建。 お大師様に「虚空蔵求聞持法」を授けた、勤操大徳(ごんぞうだいとく)が高野山開創を祝って建立。高野山の主要行事の表座敷として使われる上段の間などが有名。本堂は、徳川家霊台にあった古い拝殿を移築したもので、天井には徳川家の家紋が描かれている。

 

一乗院 いちじょういん

弥勒菩薩と愛染明王

 

弘仁年間(840年〜) 善化上人が創建。零元天皇や九条家、諸大名の信仰を集め、江戸時代には寺格随一の名刹になった寺院。1500坪もの広大な境内を持つ。

 

普賢院 ふげんいん 普賢菩薩

大治年間(1126年〜 覚王親王が高野山を訪れた際に、大師様の10大弟子のひとり、華厳寺道雄の普賢菩薩を、力乗上人に与えたのが由来で開創された。この普賢菩薩は、お大師様が点眼されたというもの。松尾芭蕉が訪れた寺院としても有名。

 

高室院 たかむろいん 薬師如来

鎌倉時代 、村上天皇の血筋を引く房海僧上が開創。北条家の菩提所で、現在でも北関東の寺院との関係が深い。西国薬師霊場第11番札所。

 

金剛三昧院こんごうさんまいいん 愛染明王

建暦元年(西暦1211年)創建。 宿坊では唯一、世界遺産に登録されている寺院。鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻、北条政子が夫と息子の菩提を弔うために建立。

 

西門院 さいもんいん 阿弥陀如来

延久年間(900年前) 教懐上人が開創。鎌倉時代に、後堀川帝の皇后、西中御門院の号を賜り、西門院と改称。豊臣秀吉の所縁も深い寺院。

 

大円院 だいえんいん 阿弥陀如来

 延喜年間(901〜923年)、聖宝理源大師により創建。もともとは「多聞院」といったが、柳川藩初代藩主、立花宗茂の院号から「大円院(大圓院)」に改名。奥の院にある大円院墓地では、戦国武将立花宗茂(柳川藩初代)、山内一豊(土佐藩初代)、石田三成のお墓がある。平家物語にも登場する「瀧口入道と横笛」の悲恋のお話が有名。※瀧口入道は大円院の第八世住職。

 

成福院 じょうふくいん

大随求明王

 

全国でも珍しい八角形のお堂「摩尼宝塔」がある寺院。ビルマ戦没者慰霊、ビルマとの交流がさかんな寺院。

 

持明院 じみょういん

延命地蔵菩薩

 

保安年間 持明房真誉大徳の開創。伊達家、武田家、京極家の先祖先霊碑を安置。四国88か所霊場のお砂ふみ場がある。

 

三宝院 さんぽういん 大日如来

承知年間(833年〜 お大師様の母、玉依御前が、お大師様を慕って九度山の慈尊院に住み、三宝院の前身となるお堂を立てたのが始まり。玉依御前が亡くなった後、高野山に建てられたのがこちらの寺院。(昔の高野山は女人禁制だった)

 

不動院 ふどういん 不動明王

延喜7年(906年) 済高大僧正が開創したお寺で、ご本尊の不動明王は、お大師様が自ら木を伐り出して彫ったもの。皇室とのゆかりが深く、鳥羽天皇皇后の美福門院陵があるほか、山階宮家の菩提寺としても有名。

 

北室院 きたむろいん 五大力菩薩

高野山開創のころ開創。 仙台伊達藩、宇和島伊達藩の帰依が厚く、伊達政宗公の供養宝物などがある。

 

遍照光院 へんじょうこういん

柿不動尊(こけらふどうそん)

 

天長9年(832年) お大師様自ら開創した宿坊で、お大師様が禅定する際に時々光を放つ奇跡が起こり「遍照光院」と称すようになった。ご本尊の柿不動尊はお大師様作。

 

地蔵院 じぞういん 地蔵菩薩

建久年間(1190〜 尊海阿闍梨が開祖。多賀谷家(茨城)、稲葉家(福知山)、藤堂家(伊勢)などの菩提寺に。

 

密厳院 みつごんいん 大日如来

1132年(長承元年) 興教大師覚鑁(かくばん)開創の宿坊寺院。興教大師覚鑁は、お大師様以来の逸材といわれ、真言宗中興の祖、新義真言宗の始祖。真言宗の経典の中でも有名な「密厳院発露懺悔文」を書きあげた。

 

萱堂上池院 かやどうじょうちいん 大日如来

お大師様が高野山を開創する際、仮住まいした場所に立つ寺院。真言宗中興の祖、覚鑁もここに逗留したことから「ぬれわらじの寺」との別名も。お大師様、覚鑁ゆかりの木や池がある宿坊。

 

大明王院 だいみょうおういん

大聖不動明王

 

實應上人が創建した宿坊で、延久年間に大師様直筆の不動明王を祀り、現在の名称に。ご本尊は秘仏ですが、阿弥陀如来とお大師様を併祀しています。

 

光明院 こうみょういん 阿弥陀如来

寿永二年(1183年) 後白河院の皇子、三井長吏八条宮円恵法親王の法資大進法橋行清上人の開基。蜂須賀家との縁が深く、代々の遺骨を納めて石碑が建てられている。

 

恵光院 えこういん

阿弥陀如来、不動明王、弘法大師

 

お大師様の弟子、道昌僧都により創建。寺院内には、本堂とは別に、お大師様作と伝えられる「毘沙門天」を本尊とする毘沙門堂があり、不動明王、愛染明王を併祀。薩摩藩島津家との縁が強く、明智光秀の菩提寺でも有名。

 

熊谷寺 くまがいじ

阿弥陀如来、法然上人

 

承和4年(837年) 桓武天皇の皇子、葛原親王の御願により建立され、初代住職はお大師様の孫弟子、真隆阿闍梨。源平合戦で、世を儚んで法燃上人の弟子となった、源氏方の熊谷直実がこの寺号の由縁人物に。法然上人二十五霊場の番外札所。

 

宝善院 ほうぜんいん

観世音菩薩

 

元丹生院といい昭和39年(1964)寺名を改称。天野の丹生家縁りのお寺。庭園は、鶴亀式山水で、高野山最古のもの。

 

赤松院 せきしょういん

十一面観音

 

923年 聖快阿闍梨が開創。鎌倉時代に、護良親王が滞在していたときに随行していた赤松則村が入道。以来、赤松一族の菩提所となる。

 

清浄心院 しょうじょうしんいん 弘法大師

天長年間(824年ー お大師様により開創、当初は喜多坊という名称だったが、のちに勅命で現名称に。平宗盛によって再建され、江戸時代には上杉謙信、佐竹義宣などの諸大名が檀家となる。上杉謙信の祈願所でもあり、奥の院にある上杉謙信の霊屋の管理もこの寺院が行っている。

 

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