本山は高野山だけじゃない?!真言宗の18本山とは?
「高野山」といえば、もちろん「真言宗最大の総本山」ですが、実は、ほかにも「総本山」と呼ばれる寺院があります。
その理由は、真言宗には、数多くの「宗派」があるため。
実は、それぞれの宗派に、総本山や大本山があり、主要な本山を「18本山」と呼んでいます。
真言宗の宗派って、何?
18本山の宗派は、主に、3つに大別できます。
@古義真言宗(こぎしんごんしゅう)
…お大師様が開いた「高野山」や「東寺」の潮流を組む真言宗派。鎌倉時代に新義真言宗が誕生し、古くからの流派を呼ぶ際に「古儀」となる。
真言宗の最大門派「高野山真言宗」は、古義に属する。
古義真言宗は、高野山真言宗、東寺真言宗、真言宗善通寺派など、さらに多岐に分かれる。
A新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)
…平安時代後期の僧・覚鑁(かくばん)を祖とする宗派。
覚鑁(かくばん)は、35歳で真言宗の伝法をことごとく灌頂し、「空海以来の才」と呼ばれた人物。「真言宗中興の祖」ともいわれ、当時の腐敗堕落しつつあった高野山を大改革した。
高野山金剛峰寺の座主となり、改革に取り組むものの、保守派に追われ、高野山から根来寺に移る。この「根来寺」の流れが、「新義真言宗」となる。
新義真言宗、真言宗豊山派、真言宗智山派がある。新義真言宗の総本山は、「根来寺」(和歌山県岩出市)。
B真言律宗(しんごんりっしゅう)
…鎌倉時代の僧・叡尊(えいそん)を派祖とする門派。
「念仏さえ唱えれば、極楽(悟り)に至る」という新しい仏教が、ちょうど一大ブームになっていたころ。
「僧侶さえもが、戒律をおざなりにしている」と訴え、「戒律なくして、成仏なし」をとなえ、「真言律宗」を興した。
仏教本来の厳しい戒律は、「比丘(びく)」と呼ばれ、その数、250も。これを護って、修行を続ける僧侶の姿に、「強い法力がある」と信じられるようになったという。
とくに、有名なのが、「蒙古襲来の神風」。このときに行った、叡尊(えいそん)の加持祈祷が、神風をおこし、モンゴル軍を追い払ったといわれています。
真言律宗の総本山は、西大寺(奈良市)、大本山が、宝山寺(奈良県生駒市)。
「真言宗18本山」全リスト
18本山の一覧です。公式サイトがあるお寺は、寺名をクリックすると、サイトに飛べます。
古義真言宗
古義真言宗 門派 | 総本山・大本山 |
---|---|
高野山 真言宗 | 総本山 金剛峰寺(和歌山県伊都郡) |
東寺 真言宗 | 総本山 教王護国寺(=東寺)京都市南区 |
真言宗 善通寺派 | 総本山 善通寺(香川県善通寺市)大本山 随心院(京都市山科区) |
真言宗 須磨寺派 | 大本山 福祥寺(=須磨寺)兵庫県神戸市 |
真言宗 中山寺派 | 大本山 中山寺(兵庫県宝塚市) |
真言宗 三宝宗 | 大本山 清澄寺(=清荒神)兵庫県宝塚市 |
真言宗 山階派 | 大本山 勧修寺(京都市山科区) |
真言宗 醍醐派 | 総本山 醍醐寺(京都市伏見区) |
真言宗 御室派 | 総本山 仁和寺(京都市右京区) |
真言宗 大覚寺派 | 大本山 大覚寺(京都市右京区) |
真言宗 泉涌寺派 | 総本山 泉涌寺(京都市東山区) |
信貴山 真言宗 | 総本山 朝護孫子寺(奈良県生駒郡) |
新義真言宗
新義真言宗 門派 | 総本山・大本山 |
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新義真言宗 | 総本山 根来寺(和歌山県岩出市) |
真言宗 豊山派 | 総本山 長谷寺(奈良県桜井市) |
真言宗 智山派 | 総本山 智積院(京都市東山区) |
真言律宗
真言律宗 | 総本山・大本山 |
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真言律宗 | 総本山 西大寺(奈良市)、大本山 宝山寺(奈良県生駒市) |
18本山 巡礼の旅がある?!
この18の総本山・大本山を巡る「巡礼の旅」が、ひそかなブームになっているそうです。
四国お遍路と同じように、1番札所〜18番札所まで、札所の順番が決められています。札所の順は、こちらのページで確認できます。
よもやま話 戦国時代に活躍!?「根来衆」と「高野衆」
大河ドラマなどを見ていると、たまに、「根来衆」(ねごろしゅう)や「高野衆」(こうやしゅう)」という言葉を耳にします。
これは、高野山や根来寺の「僧兵」のこと。もとは、自衛のために誕生した「僧兵集団」でしたが、戦国時代になるころには、勢力が拡大し、戦国大名も恐れるほどの力が、ありました。
高野衆と最初に対峙したのは、織田信長です。信長に謀反を起こした荒木村重が、高野山に逃げ込んだのが始まり。
このとき、荒木村重の引き渡しを、高野山が拒否。既に、比叡山を焼き討ちしていた織田信長は、数万もの兵で高野山を包囲しますが、「本能寺の変」で一時休止となります。
信長の後、覇権を握った豊臣秀吉は、「根来衆」を先に制圧します。
当時の根来寺は、寺領72万石、1万人もの僧兵集団を持っていましたが、他との闘いで手薄になったところを一気に攻め込まれ、数日でお寺の大半を消失しました。
信長の急死で休止していた高野山攻めは、応其(おうご)という僧の尽力で回避されます。
この後、秀吉の応其(おうご)への信頼は厚く、豊臣家の庇護を受けるようになります。このとき、秀吉が建立したお寺が、「青厳寺」で、いまの総本山・金剛峯寺は、このお寺がもとになっています。
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