お遍路でうつから脱出できた理由
半ば、衝動的に始めた四国お遍路。
2回の区切り打ちから帰ってきて、2か月後に減薬。
半年後に断薬を始めました。
そして、初めてのお遍路から1年後、通院終了。
これは、紛れもない事実です。
あくまでも管理人個人の体験ですが、
四国お遍路に行ったことで、私は変わることができました。
うつ病は、薬だけ飲んでいても治りません。
ましてや、医者任せにしていても、治る病気ではありません。
うつになったのは、
自分の心の中にある「闇」が前面に出てきた結果。
「自分」というものをわからなくなって、なってしまうものなのだと思います。
「人に認められたい」
「自分には価値がある」
「生きている意味がある」
人間なら、大なり小なり、誰もが持っている気持ち。
普通なら、何かが支えになって、この気持ちを維持しています。
それは、仕事だったり。
家族だったり。パートナーだったり。
でも、この最後の砦だと思っていたものが崩れ去ったとき。
ある日、突然。
まるで、暗闇に放り出されたように、
なすすべもなくうずくまってしまう。
それが、「うつ」です。
生きている意味さえ感じられない。
そして、やってくる、
どうしようもない焦燥感。
どうしようもない不安。
どうしようもないむなしさです。
世界がモノクロに見え、
自分以外のすべての人が幸せそうに見えます。
そして、自分は生きる意味がないと感じてしまいます。
この暗闇は、薬なんかでは到底癒すことができません。
そのことに気づいたとき。
自分で、自分の生き方や考え方、これまでの価値観を変えなければ
いつまでたっても、この暗闇から逃れることなどできないということに気づくのです。
でも、この気づきはとても重要なのはわかっているのに、
なかなか、心も体も追いついてはくれません。
そんなドツボにはまってしまった時期。
自分と本当に向き合うことができたのが、「四国お遍路」でした。
お遍路に行くというと、
誰もがご利益を期待していくのだと思うでしょう。
でも、本当はそうではありません。
ご利益はあるかもしれないけれど、
そのために行くのは、ただの他力本願の神頼みであって、
おそらく、バクチとも何ら変わりはありません。
それでお遍路を結願しても、
きっと何も変わらないのだと思います。
でも、自分の心の中の「闇」と、
とことん付き合うつもりで行くお遍路なら。
きっと何かが変わります。
すでに、自分で自分を変えないと治らないと気づいたのならなおさらです。
お遍路の道中は、たとえ楽な交通手段で行ったとしても
決して楽ちんなまますむものではありません。
厳しい山中の登り道や、果てしなく続く長距離移動。
雨の中の参拝や、暑くてたまらない時期の納経。
寒い季節なら、雪で大変なこともあるでしょう。
もちろん、お金だってかかります。
それなりに節約して行ったとしても、移動費や宿泊。
食事。何をするにもお金がかかることにも、改めて気づかされます。
こういうことを承知の上で行くお遍路で、何が変わるのか?
そう思う方もいるかもしれません。
でも、私がお遍路で得たものはとても大きなものがありました。
なんてことないことかもしれないけれど、
人間とはこういう生き物なのだというある種のあきらめ。
そして、受容。
人にどう思われるかを気にしたり、
人に過剰な期待をするのは無意味だということ。
自分は自分以外の何者でもなく、自分の価値を決めるのは自分だけ。
何が幸せなのかを決めるのも、自分だけなのです。
生きていることにむなしさを感じても、
その中で、生きる意味を考え続けるのが人間。
大昔から、その答えを考え続けてきたのも人間だし、
おそらく自分が生きている間に、答えは見つからないだろうということも。
でも、お寺からお寺へ移動している間に、
悩みでいっぱいだった頭の中で、変化が起こります。
だんだん、その悩みを忘れる瞬間が増えてきます。
答えがないことを考え続けるのは、バカバカしいと思えてくる。
この感覚は、四国お遍路から帰っても、自分の心と体に染みつきます。
悩むこと自体が、間抜けな気がしてくることさえあります。
どうしようもないことでウダウダ悩まない。
なるようにしかならない。
まだ起こっていない未来を悲観するのは、バカバカしい。
ただの割り切りと言われればそれまでですが、
こう切り替えるには、心と体を納得させる必要があったのです。
自分の周囲は何も変わらなくても
自分が変われば、世界は違って見えてきます。
いま、生きているのは、「生かされているのだ」と。
生かされているのなら、楽しく生きてやろうじゃないか。
幸せに生きてやろうじゃないか。
苦しいまま生きていくのも、
悲しいまま過ごすのも嫌なら。
そうするしかないのだから。
四国お遍路の長い行程は、
こういう割り切りを得るために必要な距離なのかもしれません。
そして、神頼みの他力本願はしないけれど、
1200年もの間、ここに鎮座しているお寺の数々を見ていると
何か人間の力の及ばない大きな神秘的なものの存在を
信じられるような気がしてきます。
お大師様を通じて、自分と向き合い、
人間の力の限界を知り、無力を知り、
大きな偉大な力を信じる。
お遍路を通じて、さまざまなものに出会う。
それだけでも、心に巣くう闇に光を当てることができるかもしれません。
もちろん、人によって感じることはさまざまです。
お遍路にいっても何も変わらないかもしれない。
でも、無意味だと思うことをやれないのが、うつなのかもしれません。
もし、無意味だと思うことでも、やってみる。
これだけでも、何か変わりそうな気がしてきたら、
それは出口に近づいている兆しなのかもしれません。
うつの通院治療が終わって1か月後。
再び、お遍路の続きを再開しました。時間をかけて、88か寺「結願」し高野山へ行くつもりです。そしてきっと。2巡目のお遍路に行くような気がしています。
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